特集 『保健婦雑誌』52年の軌跡
写真でみる保健婦活動の歴史
名原 壽子
1
1九州看護福祉大学看護福祉学部看護学科・大学院
pp.746-761
発行日 2003年8月1日
Published Date 2003/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662100138
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保健婦活動の草創期
明治政府の国策の第一は富国強兵政策でした。経済力と軍事力を強化し,国家的自立を果たすとともに,植民帝国の建設へと向かったのです。植民地政策は当然戦争を前提とするので,明治政府はいち早く医制を発布し,医師の国家養成を手がけました。20世紀は戦争の世紀ともいわれるように,日清戦争,北清事変,日露戦争,第1次世界大戦,シベリア出兵,第2次世界大戦と戦争続きです。経済力の強化(富国)の基礎は工業化で,殖産興業政策がとられました。軍事力の強化は国民皆兵主義です。そのため,兵力・労働力供給源である農村の青少年の結核と乳児死亡は重要な国家問題でした。
労働者を保護する法律の何もない時代,劣悪な労働環境での長時間労働,慢性的な栄養不足,劣悪な住環境のなかで若い労働者は結核に冒され,しかも病者は農村に帰されることで,結核の蔓延を大きくしました。これらの事情は,「女工と結核」(石原修),「女工哀史」(細井和喜蔵)に詳しく描かれています。1920年,結核の死亡率はピークに達し(人口1000対223.7),結核患者の看護は重要な社会的要求でした。結核のための健康相談所が各地に開設され,各県の警察署(当時の衛生部門は警察行政)に看護婦が雇われて結核患者の訪問にあたったことが保健婦の始まりであったと,複数の各県ごとの保健婦史に書かれています。
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