特集1 ‘呆け老人をかかえる家族の会’
呆け110番—各地での試み
呆け110番日記
中島 紀恵子
1
1千葉大学看護学部
pp.891-894
発行日 1981年8月1日
Published Date 1981/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661922785
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某月某日
今日はうれしい1日だった.90歳のお姑を介護する主婦から‘助言通りに実行したら,失禁しなくなった’という電話をもらったのだ.主婦は‘なぜ治ったのでしょう?’と言う.‘どうしてだと思いますか’と問いながら,私は1か月前彼女が‘私がおばあさんの大便のいっぱい入ったパンツを洗濯するのですか!どうして洗えばいいのですか!’という悲鳴に似た声を出したことを思い出していた.
いわゆる‘しもの世話’は,世話される側とする側双方の尊厳にかかわる人間の極限の事態だといっても言い過ぎではない.それに直面した人が,上述したような反応をするのは当然である.しかし相談を受け止める側もまた人間である,1日の間に再々起こる失禁という事態に,‘何をのん気なことを言っているのか’という気持ちになり,つい厳しい言動をしがちだ.しかし,電話という媒介物を通しての言語コミュニケーション手段しか頼るもののない場合は,思いがけぬほど相談相手である私をクールにするようだ,互いにタテマエは通用しない.ホンネを確かめ,具体策をあれこれ言い合う中で,自らの役割を相談者は確認していく.その1つ1つを支持できるという機能を発揮した場合には,私もある程度確信をもって電話を切ることができる,が実際にそんなふうにいい気持ちで電話を置くことができたケースは,これまでの約56例近いケースのうち,1/4もあったろうか.
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