学生の広場
「生と死」における看護の役割—私の看護観
小林 智香
1,2
1埼玉県立南高等看護学院
2埼玉県立小児医療センター循環器病棟
pp.287-289
発行日 1988年3月1日
Published Date 1988/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661921945
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「人は何のために生きているのか」
重症心身障害児病棟の実習以来,私の心はある1つのことに占められていた.それは,「人は何のために生きているのか」ということである.動かない手足,見えない目,聞こえない耳,時には呼吸するという,健康であれば無意識にできるようなことさえも満足にできない子どもたちの中に,どうすれば生きていることの意味を見出せるのか,私には理解できなかった.
意味のないような奇声や訳のわからない笑い声の中に,看護婦さんたちは一体その子の生命の何を見ているのだろうか.ましてそれを親が見たらどう思うのか.面会に来る度に,その子を産んだことへの後悔と,その子の将来への不安を膨張させているだけのような気持ちさえ抱かされた.私には,「なぜ助けたのか」と言った父親の心を単純に非難することはできなかったのである.
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