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真玉橋ノブ—学生の数だけ教科書が手に入った時はうれしかったですね
吉
pp.1065
発行日 1984年9月1日
Published Date 1984/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661920883
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戦後の沖繩看護を創り上げる
小倉陸軍病院勤務の後,母校の沖繩県立第一高女の教授の時,太平洋戦争が勃発した.戦争末期には沖繩全島が戦場になり,民間人もいやおうなく戦争に巻き込まれた.第一高女と女子師範の女生徒は,あの‘ひめゆり部隊’として沖繩陸軍病院所属の看護婦とさせられたが,その女生徒たちとともに砲弾が雨のように降り注ぐ南部の激戦地で,傷病兵の看護に当たった.
ほとんど一睡もできない日が続き,濠から濠へ夜に移動した.‘病院とは名ばかりの濠の中で,滅菌器具もないまま看護を続けました’その悲惨な歴史は多く語られてはいるが,‘聞く人のおもしろいような話になっていって,事実とは違う部分もでてきてしまっています’そこで,現在正確な歴史をきちんと残そうと,沖繩保健医療史研究会をつくり,まとめている.
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