選ばれた母親 障害のある我が子と生きて・5
つらいのは私ばかりではないでしょう
大和田 とき子
1
1神奈川県立ゆうかり園
pp.566-567
発行日 1984年5月1日
Published Date 1984/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661920775
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もう少し甘えさせてもらえないでしょうか
1年間の育児休職も終わり,8月17日付でゆうかり園を退職しました.もう二度と白衣を着ることもないでしょう.ママの看護婦姿をよく覚えていてほしいと,お姉ちゃんにも職場の挨拶回りに付き合ってもらいました.ママは一生をかけてやり遂げたいと思っていた仕事だったけれど,仕方ありません.辰吾に尽くすことも,看護婦としての仕事.それよりも,母親として生きられることも,一生の仕事として素晴らしいことと思います.そう思えるよう,毎日を生きていかなければと思います.‘ママは泣き虫だね’と,お姉ちゃんに言われました.挨拶して回る間,ずっと泣いてばかりいましたから.
10月.台風の通過の後,ぐっと気温が下がり,秋晴れなのに冷え込む日が続きます.でも子供2人は元気です.辰吾は,夏の間の日焼けあとがまだ消えず.半ズボンの足は真っ黒,ホッペも真っ赤で,いい顔色です.1日2回,午前中の掃除の後と夕飯の前に訓練しています.頸の座りもだいぶよくなって,お座りをさせていても,おなかを支えるだけで顔をあげて,オモチャや人の顔を見ています.
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