プロフィル
〈川村登志子〉北海道リハビリー付属の診療所で働く—「車椅子での仕事は根本的なハンデイにはなりませんね」
吉
pp.105
発行日 1982年1月1日
Published Date 1982/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661919457
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助産婦学校を出て、助産婦として砂川市立病院産科で勤務をしていたが、脊髄に腫瘍ができ、手術を受けた。良性だと言われていたが、術後放射線照射を受けたため「かなりの覚悟はしました」 一回目の術後は右手が麻痺しただけでまだ歩行できたが、看護学校の教務に入って一年後に再度手術を受け、下半身麻痺の後遺症が残ってしまった。
電話でインタビューを申し込んだ時、スンナリは承諾を得られなかった。今の職場で看護婦として働き始めて二年目で、仕事自体模索しながら行っている状態なので、あまり語れないという理由だったが、車椅子看護婦は珍しいからということでは受けられない、仕事そのもので評価してほしいという気持ちが込められての応答だったのかもしれない
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