グラフ
患者さんの顔にやっと笑いが—水俣病患者の施設・明水園の看護
八木 保
,
本誌編集室
pp.1130-1135
発行日 1978年11月1日
Published Date 1978/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661918531
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瀬戸内かと思われるほどの波穏やかな不知火の海.その海をチッソから流された有機水銀が侵し始めてもう30年にもなろうとしている.水俣の海はかつてあふれるばかりの海の幸を土地の人々にもたらした.疑うことを知らなかった人々はその幸のゆえに次々と病に倒れていった.
母親の胎盤を通って水銀は確実に胎児の脳に蓄積されていった.“私の体の毒を全部吸いとって生まれたんだよ,この子は”そう語る胎児性水俣病患者の母がいる.その子供たちもほとんどが成人式を迎えた.
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