特集 患者‘理解’とは—日々のかかわりのなかで
患者を理解するということ—看護婦である私自身をみつめることを通して
山田 信子
1
1岐阜県立多治見高等看護学院
pp.555-558
発行日 1976年6月1日
Published Date 1976/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661917889
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はじめに
1人の人を知り,その人を理解しようとするとき,どういう知り方が真に相手を理解することにつながっていくのか.看護が人間の健康への援助を目的とする働きかけであることを考えれば,相手の気持ちを分かろうと努力する姿勢が,基本的に大切だと私は思うが,果たして私はどの程度その言葉のもつ本質を把握し,対象となる人びとに接してきたのであろうか.
相手の立場を認める,あるいは相手の身になって考えていると思っていたことが,単なる思い込みにすぎないのではないかという疑問が生じ,以来その疑問が頭から離れず,私が対象とする人びととのかわりのなかでいかに相手を分かり,相手が私を受け入れうる相互関係を展開してきたのかを,私自身に問いかけてみたいと思った.その結果,相手の気持ちがより深く理解されたとき,対象の気持ちが動き,主体的に行動するものであることを体験的に了解できた.そして対象の気持ちが少しでも理解できるようになるためには,まず自分自身の気持ちを,自分の中で意識化することが必要であると痛感するようになった.
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