話し合い ほんやく「看護におけるユーモア」を読んで
よい人間関係のひとつの手段
高階 経和
1,2
,
横尾 八重子
3
,
石本 富子
4
,
細見 幹子
5
,
岸本 延子
3
,
藤本 佳代子
6
1神戸大学医学部
2淀川キリスト教病院循環器科
3神戸大学病院内科
4兵庫県立こども病院感染病棟
5関西労災病院内科
6高階心臓病クリニック
pp.83-86
発行日 1971年7月1日
Published Date 1971/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661917733
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高階 今日はお忙しいところをわざわざご出席くださいましてありがとうございます。今回は3度目の座談会になるわけですが,翻訳文を中心に日本の現状と比較しながら話を進めていきたいと思います。今日のテーマは「看護におけるユーモア」ということですが,私が問題だと思いますのは,日本ではユーモアといいますと「ふざけたこと」というようにとられておりますが,そのように考えてこの翻訳文を読んでみますと非常に堅く感じられるということです。英語ではユーモアとウィット(機知)は別の意味の言葉ですが,日本では一緒になっているように思われます。そこで今日は,ユーモアにはウィットも含まれていると考えて話を進めていきたいと思います。
では,人間はなぜ笑うのでしょうか?動物が笑っているのはあまりみたことがありませんね。喜怒哀楽は人間の特権でありますし,人間的な表現をもってすれば必ず精神的な反応があるということが常道です。とくに私たちのように医療に携っている場合,患者という人間像をみることになりますし,時には私たちが患者の立場になることもあり得ますから,反対の立場ということも考えなくてはならないと思います。人間の喜びと悲しみには裏表あり,大きな落差があります。その落差を縮める作用がユーモアにはあると私は考えます。
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