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山形市立病院濟生館の面影
pp.5
発行日 1951年1月1日
Published Date 1951/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541200257
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こゝにかかげた寫眞は山形市立病院濟生館の木版畫である。濟生館の創立は遠く明治6年にさかのぼる。この病院のらんしようは天意町の佐藤伊兵衞が兒孫の夭折を痛むあまり發願して親せきに當る山形市十日町長谷川吉郞治と提携し,同年9日岡町五日町に私立病院を創設して醫療施設の完備をはかると共に治療に當つたのである。その後經濟的な理由から縣下初の公立病院として山形縣公立病院となり明治7年1月8日開院式を擧行した。醫療と同時に醫師の養成も行われ「醫學療」と稱した。明治9年大縣主義の結果合併による山形縣がおかれ三島通庸が縣令となつてから力をそゝぎ11年2月三階建の新病院を建築した。13萬圓で1年を要して落成したのがこの版畫の建物である。當時山形市の一名所となつたモダンなもので,文化の尖端をゆくものであつた。これを契機に縣立となつた。初代院長は長谷川元良,東京大學醫學部からまねかれた。以後いろいろの經偉をへて昭和6年市に移管。この正画の建物は今尚病院玄關として使用されており,往時をしのぶよすがとして感慨深いものである。
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