科学的看護への基礎ノート・3
看護とよくうつ
杉村 春三
1,2
1慈愛園・老人ホーム
2熊本大学高看学院
pp.52-54
発行日 1971年6月1日
Published Date 1971/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661916055
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疾病は純粋に客観的に進行するものと,多くの場合看護婦にも感じられているにちがいない。俗にいう器質的疾患などというものについては,とくにそのような印象をもつことがむしろ普通ではないかと思う。看護体験というのはいったいなんなのか,本質的なことを考える暇もなく,全国の病院の現場は毎日毎日多忙な業務に追いまくられている。けれども,「考えるナース」というものも必要であり,実際問題として現代看護の前進ということを考えるならば,それはきわめて当然のことのように考える。
疾病があるところに患者がつねにある。ということは,疾病と患者はいちおう理論上では別のものだということである。しかしこれは一つの理屈であって「看護的時間」つまり看護をしている,患者との出会いの場ではそのようなことをいつも体験できるとは限らない。いいかえると,看護体験を分析的に考えたりする余裕もないままにナースは働いている。
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