てんてき
身障児看護にプレイ・トレーニングを
安西 愛子
pp.21
発行日 1967年10月1日
Published Date 1967/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661913303
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ちょうど女学校の3年生ぐらいの頃でしょうか,将来の目的を決める時期にあたって,私は“女医さん”を志し第1志望を,今の女子医大ですね,当時の東京女子医専と決めて受験準備をすすめていました。女医を志したのは,第1に理工系の学科が好きで得意?だと自認していたこと,第2に親戚に医者が多かったことなどでしたが小さい頃からおシャマで,やれバイキンがついたの,消毒しなけりゃなど,本当にお医者さまを気取っていたようでした。
それが180度転換で,“音楽の道”にすすむようになるのですから,人間の運命くらいわからないものはありませんね。子どもの頃から趣味で音楽をやってはいたんですが,ある日,音楽の先生に呼ばれ,どうしても音楽学校へいって,音楽の道に入るようにすすめられました。わたくしと同じように,父も医者にさせようと思っていたようですが,熱心なその音楽の先生についに説得されたようです。
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