新春 看護の潮
—第10回医学書院看護学セミナー集録—病気の考え方と看護学
阿部 正和
1
1慈恵医大
pp.19-25
発行日 1967年1月1日
Published Date 1967/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912992
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いとぐち
私はかつて医学書院から「対症看護」という本を編集して出したことがあります。当時,外国はもちろんのこと,わが国にも,そういう言葉がなかったので,内心得意になっていたわけです。ところが意外なことに,聖路加病院の高橋シュン先生から次のような反論を受けました。
“自分は対症看護という言葉ぐらいきらいな言葉はない”とおっしゃるのです。私は一瞬どういう意味かわからずとまどいました。思わず問い返してみますと,高橋先生が言われるには,“看護というものは症状に対してするのではありません。症状を持った患者さんを看護するのです”と。なるほどと思いました。症状という実体はない,あるものは症状に悩んでいる患者さんであるというわけです。私はその当時,大学の生理学教室に席を置き,机の上での学問をやっておりましたので,このことはピンとこなかったのですが,その後,臨床医学の領域に入って患者さんに接する機会を持つようになりました。そうするとなるほど高橋先生の言葉は正しいということを了解することができるようになったのです。
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