世界の女性
ソーニャ・コヴァレスカヤ—ロシヤ生まれの数学者
大野 昌彦
pp.128-129
発行日 1966年9月1日
Published Date 1966/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912886
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まぼろし
このロシア生まれの数学者は,1891年,41歳の若さで突然なくなった.葬いには,世界ほとんどの文明国から弔電が降りそそぎ,ロシア女性たちは,ストックホルムの彼女の墓の上に記念碑を建てることを決めた。何台もの車をいっぱいにする花々が,積雪でかこまれた墓地の黒い穴をおおった。生前すでに彼女に影のごとくつきまとっていたまぼろしの彼女が,ここにひとり立ちして歩きはじめたのである。約3/4世紀経た今日,「常にロシアの社会的および科学的進歩の上において,傑出せる位置をしめるであろう。彼女は現在また将来にかけて,その祖国の誇りとしてあるのだ」と『ロシア科学者列伝』叢書の中の彼女に関する一巻は結んでいる。日本でも『数学史』19世紀のページで,彼女の業績についてふれているのを見た。『ソーニャ・コヴァレスカヤ』が野上弥生子の翻訳で大正13年に出ている。ソーニャが表わした未完の自伝に,友人アン・シャロット・フラーが追想を書き加えた作である。
「女が数学の教授になるなんてことは,2・2が4ほど正確に奇怪なことだ」(ストリンドベリ)に代表される世の動きが当時あったし,現在もある。こうした動きは,一方で女性天才をなにがなんでも女性解放のヒロインに押しあげ,祭りあげてしまう働きをする。
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