歴史の女性
柳原白蓮—古い家族道徳の鎖を断った女性
福地 重孝
1
1和洋女子大
pp.104-105
発行日 1966年3月1日
Published Date 1966/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912680
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政略結婚の伝統
柳原白蓮(1885〜 )(本名は宮崎燁子)について,すぐ関連して考えられることは,「政略結婚」ということである。女性のおかれていた社会的地位が,もっぱら家内的な陰の存在であった時代には,結婚が女性自身の意志を無視してよく政略に利用された。
その例は,枚挙にいとまがないが,そのひどい例をひろって見ると,南北朝時代に北朝の後小松天皇を殺害しようとして宮中に入り,かえって後小松帝の皇胤を宿して生まれた一休宗純は,南朝の一女性を母として生まれたものである。また織田信長の妻となった濃姫は,織田家を倒すために送りこまれた斎藤道三の娘であった。あるいは,豊臣・徳川両家の和合のために家康の孫娘の千姫(7歳)と,秀吉の一子秀頼(11歳)が婚した例などは,歴史にのこるひどい政略結婚の例である。時代が降って,徳川幕府の末期,14代将軍家茂に降嫁した孝明天皇の皇妹和宮親子内親王も,「公武合体」のために,本人の意志を無視して行なわれた政略結婚であった。
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