モンテンルパ・マヌス—東京
檻の中の1600日—モンテンルパの思い出/マヌス島より帰りて—“内地送還”に一筋の望みをかけて
椿 孝雄
pp.124-128
発行日 1953年11月15日
Published Date 1953/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912509
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
コツコツと房外を歩く看守の靴音にさえおびえながらも,何とかしてもう一度生きて祖国の土を踏みたいものだと思い続けたあの頃の事を考えると,こうして自由の身になつて,幸福な日を送つている現在が,文字通り夢のように思えてならない。全く八千万同胞の温い同情と熱い祈りのおかげだと,国民の一人一人に頭を下げてお礼をのべたい程,深く感謝している次第である。
モンテンルパの日本人のことについては,すでに新聞や雑誌であまりにも多くが語られているので,大部分の方は御存知かとも思うけれども,我々死刑囚の入れられていた房というのは,約1坪半の広さの檻で,天井も壁も,床も,白いコンクリートで冷く囲もれている。一方に2重の金網が外もはつきり見えない位に嚴重にはりめぐらされたドアーがあり,その反対側にも同じような金綱とその上に太い鉄格子が数本はめられた窓がある。この天井の低い,汗とニンニクの香りでムツとする空気の部屋の中で,約4年間の死刑囚生活が続けられたわけなのである。房は3人ずつ入れられた。板敷きの上にアンペラを1枚のせた蠶棚のような寝台が死刑囚にとつては唯一の憩の場所である。部屋の隅に水道と便器が置いてある以外には何の設備もない。清潔な青疊の上で浴衣にでもくつろいで,つい此の間迄いたところのことなどふと思うと全くまあよく生きぬいて来たと,われながらつくづく感心する。
Copyright © 1953, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.