特集 婦人労働からみた看護
私と労働
耐えしのぶ労働から価値あるものへ
石塚 静子
1
1都立大久保病院
pp.32-33
発行日 1964年10月1日
Published Date 1964/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912401
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今日も白衣に身をひきしめて出勤した私が,重い足をひきずり物をいう気力もなく寮に戻ってきた。「何はさておいても横になりたい」それが今日この頃の唯一の願いであることに改めて虚しさを覚えた。身を横たえながらも,家庭を持って通勤する人や,夜勤に出て行く人の気配に『御苦労様』と,まず想い走って依然として神経は休まらない。あの人たちの中からもまた幾人かが脱落して行くことだろう。ナースを自ら選んだ私もまた,労働の限界点に到って自信を失いかけている。精一杯自力を生かしてみたいと願った私が,ナースの果たすべき独自の分野で自力を発揮できず,むしろ日々雑用の中で自力を試めされている矛盾に突当っている。多くの病院の現状では,ナースの専門技術と緻密な神経よりも,頑健な体力と野放図な神経を必要とする。この絶対的な条件が除去されない限り,ナース自身の向上は阻まれ,ナース不足と労働加重の悪循環が日々失望の下に繰返されるであろう。
その最大原因が看護業務の不確定にあることは衆知の事実であるが,依然として放置状態の所が多い。常に進歩変化して行く医学とともに,私たちもより高度な知識を吸収,技術を修得しなければならない現在,聴講に,見学に,学究の道に励めるだけの余裕と管理者の支援が欲しい。
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