特集 看護の合理化
《座談会》職場と合理化—合理化する以前に問題がある
一番ケ瀬 康子
1
,
川島 みどり
2
,
柴山 広
3
,
半沢 美江
4
1日本女子大学
2日赤中央病院
3東京逓信病院
4国立東京第二病院
pp.40-50
発行日 1964年5月1日
Published Date 1964/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912240
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司会(一番ケ瀬) もうご存知のとおり,日本の医療体制というのは,いろんな矛盾を持っていまして,そういう矛盾の中で看護婦さんも労働条件が非常に悪い。日本経済の高度成長の中で,人手不足が労働市揚で目だってきますと,なぜ看護婦さんのお仕事には人が集まらないのか,というような状態が出てまいります。それに伴って看護婦さんのお仕事の,特に近代化というようなことや,また合理化というようなことが言われ出してきたと思います。ところがそういう近代化,合理化というのが,はたしてほんとに患者やあるいは看護婦さん自身のためになっているかというと,そうじゃなくて,何か逆な方向で,端的にいえば看護婦さんや患者の人間性を逆に無視するような形で合理化が行なわれていくんじゃないか,ということが私のような患者の立場にたつものからも最近感じられるんですが,じっさいにお仕事をやっていらっしゃる看護婦さんは,一体どういう条件なのか。今言われている合理化ということが,実際にはどういうふうな状態になっているか,というようなことをお話しいたただいて,そこから出ました問題を掘り下げてみたいと思います。
機械化できる仕事とできない仕事
柴山 私のところは日赤とか国立と違いまして,看護婦は正看ばかりでやっております。
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