とびら
職場の近代化合理化にあたって
杉 政孝
1
1立教大学
pp.13
発行日 1963年8月1日
Published Date 1963/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661911987
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3年前の冬,私の長男が生まれた。お世話になった病院で私は看護婦の仕事とその職場の雰囲気をはじめて目のあたりに見た。ちょうど年末闘争のさいちゅうであった。その後病院ストが頻発してピケラインを張る制服の看護婦の姿を新聞やテレビで見るようになり,私は看護婦の職場や生活に強い関心をもつようになった。それにしても,一般産業企業体の労務管理を主として産業社会学を学んできた私の目には,彼女たちのかかげたスローガンや要求はいささか異様であった。彼女たちの受けている教育の長さや職務の特殊性と比べて,なんともつつましい賃金の要求,それに人権闘争ともいうべき初歩的な生活権の主張。よくあんな環境と条件であれだけの労働とサービスをやってきたものと感心するとともに,それに疑問の目が向けられたからには,これから看護婦の職場は大揺れに揺れ動くだろうと予想せざるをえなかった。
だが,医療は営利事業ではない。看護婦の心の支えとなってきたナイチンゲール精神の主柱は人類愛である。おまけにわが国の看護業務には,かって赤十字精神という軍隊式の筋金がはいっていた。看護という仕事に伴うこのような特殊性と伝統の重みを考えたら,看護をめぐる医療の近代化は,利潤の追求を第一とする他の一般企業の場合とは,だいぶ違うだろうが,しかも近代化はやりとげねばならぬ。それがどのようにして可能になるか。私はまず産業社会学者として強く関心をひかれた。
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