想園
私のナースPR論
中山 恵子
1
1外山医院
pp.68-69
発行日 1964年2月1日
Published Date 1964/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912152
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次期の生徒会の選挙を終え,自分の副会長という重い任務を考えながら,こんなつもりではなかったのだと苦笑する。ただ准看から,高看へはいる間の3年間を定時制高校に求め,難なく素通りして進学コースへ進みたい。病院勤めを主体として,役員もあまりやらないでいようなどと思っていた最初の気持が完全にくつがえされたのを感じたから。入学時から弁論大会だ,文化活動だ,役員だと先生からも級友からも,かり出され,しだいに学校の持つ雰囲気に愛着を感じ出し,自からも身をのり出し飛びまわってしまい肝心なナースの仕事が,おろそかになってしまいがちなのである。
この女子の少ない学校にも7人の准看と高等看護学院在学中の人が通っている。しかし看護婦のことに関しては,先生も級友も私たちが話すまではほとんど無知と言ってもよいくらい何も知らないのである。ましてや進学コースなどと言ったところで「それよりも大学でも行った方が良いのではないか」とか「無理に年を取るまでそんなに勉強しなくてもあなたの生きる道は他にありはしないか」と一言のもとに言われてしまうしかし先輩たちが何歳になっても黙々と休みの日も高校の勉強と高看との勉強に息をつくまもなくがんばっている気持はよくわかるのだ。あえて報われない職業をなぜ希望するのかと言えば先輩も私も,看護というものの持つ精神的な偉大さや尊さに魅せられているのだと思う。その絶対的な素晴しさは信じている。
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