患者のそばでまなぶ・2
お礼心の慣習
小林 冨美栄
1
1厚生
pp.70-71
発行日 1962年8月15日
Published Date 1962/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661911713
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ブロックの堀越しに井戸端会議がきこえる“そりゃ仕方がないでしょう。生命をあずける病院でさえ,看護婦さん達におつかいものしなけりゃならないんだから”といっているのは,どうも会議のリーダー格らしい。会議の会長は分らないが私にはききのがせない。しろうとの言葉である。生命をあずけるということが聖職であると理解し,聖職であるが故にそうしてはいけないという論法なのだろうか。私がこの場の会長ならこういったかもしれない。“お布施の金高によって,タイムスイッチの切り方がきめられる御時世だから仕方がない”と,これはある本山へ納骨をした時に,お経の上っている間にチーンと合図がなる仕掛けになっていて,それぞれの人によって,お経のはじまりから,このチーンとなるまでの時間が異ることが分った。つまり,タイムスイッチをかけておいて,時間がきたらチーンとなってお経を終るという仕掛である。そうすると,お経の上っている時間の長短をきめるものは何か。私の考えではお布施の金高だと思う。それ以外に基準は作れないだろう。こうなると地獄の沙汰も金次第ということが実感となってくる。ところで,医療サービスからの満足感を贈りものの多寡によろうとするような考え方は,チップと同じではないだろうか。しかしチップを払わなければサービスが悪いとか,チップを出せば何とか無理がきいてもらえるという考え方は,いつも私達の経験するところである。
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