とびら
身のまわりに花を
金子 光
pp.1
発行日 1962年2月15日
Published Date 1962/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661911557
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ある時よんだ新聞の寄せ書き欄に次のような思い出の言葉がありました。「なくなつた母は夢のある人で,私共がまだ幼い時分,どんなに貧乏した時でも,食べることに精いつぱいだつた終戦前後のあのきゆう乏の時でも,何かしら花を,花の買えない時は,庭の葉を水盤に浮かべたりして,身のまわりから花をたやしたことのない人でした」。
私にはこれをよんだ時すぐに想い起したあるなつかしい時代があります。それは,私が学窓を巣立つてはじめて社会に出た最初の職場での生活であります。そこは東京の西北のはずれ,西新井の放水路の先きのジメジメした沼地に,生活とは名のみの人生と貧乏のふきだまりのようなバタヤ部落のある社会福祉事業をする施設です。朝は8時から幼稚園と保育学校の子供達を迎え,夜は9時頃まで学童や中学生の学習を指導し,土曜日は健康相談,日曜日は日曜学校と,1日中1週間中をすべて周辺の人々のために専らつくす生活のあけくれでした。この忙しい生活の中で忘れられないことの一つは,この施設のどこの部屋にも,どの入口の棚にも,またそしていくつかある洗面所や便所に至るまで小さな花の論が必ずあつたことです。ちやんとした花瓶に入つている部屋があるかと思えば,ただのガラスのコップに,はては誰かがもつて帰つたのでしよう駅うりのお茶のビンにその四季おりおりの庭に咲く花を手折つて飾つてあつたのです。
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