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闘病の思い出
川田 静男
pp.41-43
発行日 1960年11月15日
Published Date 1960/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661911199
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私のあたらしい主治医は,退院まで二年を宣告しました。当時は,ストマイもパスも配給制の頃で,余程の重症でなければ使用してもらえず,自費で買うのには手が出ぬ程高価でした。気胸と安静だけの治療をつづけるうちに腸結核が進行し,茶わん一ぱいの粥が食べききれぬ程,食欲がおちてしまいました。
ストマイを射つてもらいたいために,私は別の療養所へ転院しました。そしてストマイの使用で,それがやつと治りかけた頃,今度は膝関節炎を併発し,私たちの希いに反して,病状はどんどん悪化してゆき,医者が約束した2年の月日は,いつの間にか過ぎ去つていました。衰弱してとうとうベツドの上に動けなくなるまでの数年間—それはあらゆる意味で,息のつまるような苦しい期間でした。
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