口絵
研究と政治の2枚看板を—性格を明らかにした看護協会(34年の総会から)
pp.53-56
発行日 1959年9月15日
Published Date 1959/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661910928
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林塩協会長と井上なつゑ看護婦会長の参議院選挙戦の興奮としこりをそのまま名古屋に持込んで,昭和34年度の日本看護協会通常総会,助看保各部会,及び研究学会は,6月16日から3日間,市の金山体育館を中心に全国から5千名の会員を集めて開かれた.この会では,看護協会が3年後の参議院選挙を通して中央政界に看護界の代表者を送り込むために,政治連盟を結成して今から運動を始めることが決議され,また,役員選挙の結果,湯愼ます東大衛生看護学科助教授が対立候補もなく会長に選出された.なお,明年の総会開催地は東京都の反対にもかかわらず多数決で東京に決定
16日は各部会の総会.この日看護婦会総会では東京都支部からの「協会員は定款を守れ」との議題が出され,これをめぐつて議論が湧いた.これは,今回の林会長の立候補の際,協会の推薦を受けるに至る経過に不明朗なものがあつたと指摘する東京都支部と,協会役員側との対立が公に表面化されたものである.この後2日の会期を通して,東京都支部を中心とする「井上派」と協会役員を中心とする「林派」とがいろいろな点で意見の対立を見せていた.
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