文豪と死
石川啄木
長谷川 泉
1
1医学書院
pp.52
発行日 1978年1月1日
Published Date 1978/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1543201544
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石川啄木(1886〜1912)は27歳の若さで世を去ったが,死後その文学(短歌・詩・小説・日記)を愛する読者層は,ますます大きく拡がっている.最近,岩波文庫の発刊50年記念出版として「ローマ字日記」が文庫の1冊に収められた.
そこには,啄木の青春が赤裸々に描かれており,海外でも評価が高かった.日記は1909(明治42)年から1911(明治44)年までである.啄木の残されている日記の全体は1902(明治35)年から死の直前までの10年間にわたっている,なぜ上記の部分がローマ字で書かれたかについては妻節子に読ませたくないことが主原因である.日記のなかに「なぜ,この日記をローマ字で書くことにしたか? なぜだ? 予は妻を愛している;愛しているからこそ,この日記を読ませたくないのだ.—しかし,これはウソだ!愛しているのも事実,読ませたくないのも事実だが,この二つは必ずしも関係していない」としるされている.もう一つの原因は漢字によらない日本語の音表現の純化への意欲がからんでいよう.歌人であった啄木は言葉についての感覚は鋭敏であった.
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