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ストレス,すりきれの哲学
田多井 吉之助
1
1国立公衆衞生院生理衞生学部
pp.169-176
発行日 1957年10月15日
Published Date 1957/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661910459
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今春,その学説の提唱者であるモントリオール大学のハンス・セリエ教授の来朝によつて,ちよつとしたブームを引越したストレスは,いまはもう新語辞典にのるほど大衆的になつてしまつた。しかも,ストレス学説を系統的に解説したよい書物がいくつかあるから1-3),改めて,それをここに再掲するのも重複の感がある。したがつて,ここでは,ごく軽い気持で,ストレス学説のあれこれを,拾つて考えてみることにする。
セリエ教授によれば,ストレスの概念は決して新しいものではない。すでに2400年以上まえ,医学の父祖と仰がれるギリシヤのヒポクラテスは,病気というものには,悩みばかりではなく,骨折り,すなわち正常に回復しようとするからだの努力がふくまれていることを,弟子たちに教えていた。さらに約1世紀まえにフランスの有名な実験医学者クロード・ベルナールは,あらゆる生物に共通した特徴の1つは,体内の環境を定常に維持できる能力であると指摘した。この能力をあとで,ボストンの有名な生理学者ウオルター・キヤノンはホメオスタージス(homeo—stasie,日本語ではふつう恒常性と訳している)と呼んだ。かれの考えによると,この定常状態からの片寄り,そのものあるいは定常的な平衡を回復する努力こそストレスである。
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