扉
あたたかい雨
pp.5
発行日 1956年11月15日
Published Date 1956/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661910228
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映画館を出たら,思いがけない夕立で,しのつくような雨が降つている。やれやれ困つたな,時計をみると,次の予定まで余り充分な時間はない。ゆつくりと雨足の細るのをまつているわけにもいかない。すぐ目の前にみえている国電の駅までただぬれても大した事はなかろう。思い切つて歩くかな,と,思案していたら,突然自分のそばに人のよる気配がして,「どうぞ」といつて,女の人がニコニコ笑い乍ら傘をさしかけて,はいつていかないかと,いつている。「有難い」と思つたが次のしゆん間一寸ためらつた。「まてよ,うつかりこの女の親切にひつかかつて,その辺の特飲街にでもつれこまれたら百年目だ,この辺はその道の有名なところだからなあ」と,もう一度女の顔をみると,若いきれいな人だ,「いやいや,よそう,君子危きに近よらず」,黙つて一寸会しやくだけして,思い切つて雨の中をとび出てかけ出した。駅のホームを上つてしばらく電車をまつ間何気なくふり返つたら,今の女が傘の水を気にし乍らこつちに歩いてくる。「変な女ぢやなかつたんだな」と思たら,急に何か悪い事をしたような気がして,その人にみつからないようにあわてて反対側のホームに歩いてにげた。
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