講座
看護婦の医師介助について(上)—〔イギリスの看護婦の立場〕
水野 祥太郞
1
1大阪市立大
pp.18-22
発行日 1955年11月15日
Published Date 1955/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661909971
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
私は1950年の秋から半年の間,イギリスの病院で暮しました。イギリスの看護婦さんの働きぶりが懐しく走馬燈のように思い出されます。
はじめて私が行つた病院はイギリスの北の方の田舎町のはずれにありました。ゴールドスミスという英文学で有名な人の書いた小説に“ウエイクフイールドの牧師”というのがあります。そのウエイクフイールドの街で,今は炭鉱によつて相当に,栄えています。夜になるとホテルのロビイが昼間とは打つて変つて活気ずいて,街中の人々が集つたかと思うように赤い顏や白い鬚が入りまじつて活溌な話がはずんでいます。「治療体操師」というものがイギリスにあつて,その講習会が了つて国家試験を2,3日後にはじめるというので,私もその試験委員の会に列席して国家試験の内幕を見せてもらつたのですが,この委員会は難しい冷い役所の席で行われるのでなく,非公式ではあつたのでしようが衆人の集まり騒いでいるホテルのロビイで行われて,大切な話が進められて行くのでした。時には一パイ気嫌の街の老人が向うのテイブルで杯を持ち上げると,委員のテイブルからも杯を上げて応酬します。ロンドンなどの酒場では紳士のためのものと,一般向きの雑然とした中になごやかさの溢れた感じのものとが別別になつていますが,イギリスもこの辺の田舎街では何も彼もが溶け合つた好もしい空気に支配されているのでしよう。
Copyright © 1955, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.