座談会
原爆患者を看取つて10年(上)
蜂屋
1
,
藤本
2
,
垣井 キヌエ
3
,
久保 文子
3
,
花矢 康子
4
,
吉岡 秋枝
5
,
山村 キミ江
6
,
山崎 花子
1
,
阿本 英三
7
1広島逓信病院
2広島赤十字病院内科
3広島赤十字病院
4県立広島病院
5国立広島病院
6広島市民病院
7編集部
pp.214-224
発行日 1955年10月15日
Published Date 1955/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661909962
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記者 まえがき
8月5日,広島着,汽車は原水爆禁止大会に参加しようと乗り込んだ各地の人々で混み合つていた。駅前は,歓迎原水爆禁止大会派遣代表のアーチで飾られ,地元側の世話人のテントが張られて,早朝にも拘らず多くの人が立ち働らいていた。
早速,座談会の計劃,連絡をとる。市内はすつかり復興しており,当時の惨禍をしのばせるものとては殆んどない。ただ,駅前に降りたときから感じたことだが,夏の太陽の直射の下で街は渇き切つていた。緑がないのだ。小さな街路樹はところどころあるが,大きな緑したたる樹は殆んど見当らない。樹木は10年では育たない。街は露出して,裸な地に,看板ばかりが目につく。中心部は,新装されたビルデイングの白いコンクリートが並び極めてモダーンな感じがする。どこの街にも,どこかその街特有な影のあるふんいきを持つているものだが,ここには何の影もない。一瞬,歴史の断ち切られた街,という言葉が閃めく。古い街の記憶をとどめるものが何もない。ただ,この沙漠のような明るさの中を,幾本かの清流が静かに流れているのを見下ろすとき,私達の胸の中にやつと人なつこい安堵のようなものをおぼえる。
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