アメリカより歸つて 對談・2
はげしい醫師の生存競走
日野原 重明
1
,
橋本 寬敏
2
1聖路加病院内科
2聖路加病院
pp.52-55
発行日 1953年2月15日
Published Date 1953/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661907252
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クラス見學
私が看護婦學生のクラスに入つて行くと,必ずこのドクター・ヒノハラはどこからきてどういう人で,日本でもこういう仕事に關係しでいる,ということを説明しで紹介されます。來客があつたり,訪問するときにはその1人のために,わざわざ時間をとつてそこにいる皆に紹介するのです。日本だと2,3人は知らなくても大體知つておると,紹介しないことが多いですが,向うでは皆がその人を知らないと,會話を始めないというマナーがあるんです。それだから紹介されたら,お互に名前を憶えで,そしですぐ各前で呼ぶ,そういう訓練をされております。
こつちの學生と,向うの學生と違うことは,我々訪問者がいてもいなくても,彼等の態度とか状態が,全然同じだということですね。先生も氣樂に講義しますし,生徒も平常と同じようにしているんです。私が丁度出た時間は,時間の15分間を試驗に當てて,先生は問題を出して,紙をくばるとすぐ控え室に戻り,先生のいない教室で生徒は答案を書いています。すんだものから先に提出する.全部提出した頃先生が來て講義を始める,一一こういうことになります。講議は基礎醫學からすべて看護婦の先生ですね。看護學校の先生はナースであるということが,向うでは普通になつております。やはりドクターも先生になつて關係しておりますが,そのドクターは特別講義という形式で教えています。全體の教育は看護婦の先生がやるのです。
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