學園の頁
仙臺市立病院附屬乙種看護婦養成所
石戶谷 ちゑ
pp.53-56
発行日 1952年8月15日
Published Date 1952/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661907122
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青葉城跡より森の都とうたわれた仙臺市を見下す人は,市の南方を走る視界に廣がり行く仙臺平野をうるおす廣瀬河の森嚴な姿に魅惑され,再び目を市中へと轉ずれば官庁街の一角に雄然とたつ白堊のビルに眼をとどめるでしよう。これが病める人々の憩いの家,市立病院であることに氣がつくことと存じます。此の内にある養成所も看護法の改正と共に仙臺市立病院乙種看護婦養成所となつて以來今年で3年を迎えます。第1回卒業(舊制度第8回生)をもちまして第1回都道府縣の試驗に15名全部好成績で合格の榮を得た時の喜びは格別でした。特に良いのは小兒保健指導のテストであつたそうです。生徒は規定勉強の外にコーラス,スポーツ,宗教等も學びいつも明朗に朝夕ほゝ笑ましい寮生活をいたして居ります。1年生は4ヵ月の豫科期間後戴帽式をすませ,各分擔の實習に參りますが,總婦長の全きの敏腕の中にテキパキと活動して居り各科の婦長や主任も又生徒の指導は嚴重な中にも優しい實に徹底したものであります。御人格の高し一見院長先生は養成所長として實に生徒の指導に熱心で多忙の中をたまたま演劇をを見てはこれに批判を與え一緒にお食事をしては心行く迄興に入り,又ピクニツクにもお出掛け下さいます。毎週1回社會を指導なされ,私も先生の授業に出席して居りますが良い教授の手本として又,あらゆる方面の知識を取り入れる等敬意をもつて聽講しています。
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