発行日 1951年2月15日
Published Date 1951/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906799
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神代のことは知る由もないが我が國の疫病の流行史は崇仁天皇の時代に始り奈良朝聖武天皇のときまでの150年の間に16回の流行があつたそうである。しかも當時所謂疫病と稱せられたものは主として痘瘡,麻疹及び發疹チフスであつたと指摘する多くの史家の言に從えば發疹チフスの歴史は誠に古いものである。少くも今を去る約1400年の昔から大小幾多の流行を繰り返しつゝ今日に至つている。
發疹チフスは亦アジアは勿論ヨーロッパ諸國にも多くユーロピヤン・タイファスとも呼ばれている。大きな戰爭に大流行を伴い戰後又交戰國の周圍にも波及することが多く戰爭チフスの名を附せられている。ナポレオンが25萬の大軍を率いてモスコー攻略の進?に際しモスコーを眼前に見乍ら將兵間の本病流行のため病魔の犠牲となつて斃れた累々たる屍を乗り越えて空しく全部隊敗走の止むなきに至つたことは餘りにも有名である。今次の世界大戰においても例外はあり得なかつた。東部戰線においてソヴィエット,ドイツ,オーストリアその他バルカン諸國に流行し戰後においては特にソヴィエットとポーランドに蔓延を見ている。
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