原著
昭和21年春期の東京都に於ける發疹チフス流行の疫學的観察(豫報)
山下 章
1
1東京都衛生局防疫課
pp.266-284
発行日 1947年1月25日
Published Date 1947/1/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200090
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序言
發疹チフスは非文化國の傳染病であつて,文化國に於ては,凶作,戰爭等によつて,社會状態が混亂し住民の生活状態が悪化した際に流行する病氣で,飢餓熱戰爭熱といふ異名さへある程である。我國に於ても明治の初發疹チフスは非文化國の傳染病であつて,文化國に於ては,凶作,戰爭等によつて,社會状態が混亂し住民の生活状態が悪化した際に流行する病氣で,飢餓熱戰爭熱といふ異名さへある程である。我國に於ても明治の初年迄は,各地に相當の流行があつたものの如くである。即ち我國最初の衞生法規である明治7年公布された醫制の第46條に,定められた4種法定傳染病中の弟扶斯は發疹チフスのことであつて,腸チフスは明治11年に至つて泰襄土として初めて法定傳染病に加へられたのであつた。大正3年發疹チフスの大流行があつて,東京都に於ても4119名の患者と778名の死者を出したのであつたが,之は前年の東北の大凶作によつて難民が東北の病竈から病毒を持つて本所,深川の木賃宿等に來宿し,此の流行を起したのであつて,飢餓熱の名を負ふ實例をなしたのであつた。
是等の流行は,病原體及傅染經路の未だ不明の時代の出來事であつた。然し乍らその虱による傅染經路竝に病原體の性状等も明にせれら,又た豫防方法も確立してゐる今日に於ては,世界の1等國になつだ我國の首都東京では,如何に社會事情の混亂が起つても過去に於ける様な惨害を繰返すことはあるまいと考へてゐた。
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