発行日 1950年2月15日
Published Date 1950/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906609
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私たちはポスターということばをいろいろな場合に應用しているけれども,あちらではポスターの他にチャート,グラフ,フィギュアという風に使いわけている。ポスターとはある明瞭な意圖をもつて,觀る人にある行動を起させることを目的として造られたものに限つている。だから教材的に,教育の補助手段として解説風につくられた圖などはポスターではない。そうした教育掛圖は解説を豫想したもので,獨立した價値を持たないものだ。それだけでは不完全であるというよりは寧ろ解説を補う目的を持つているものである。こうした性質のものは,それ自身はどんなに不備であつても,單獨には批判すべきものではない。解説を助ける上にどれほど役に立つかということが問題である。だからそれは解剖教室の人體解剖圖みたいな存在であつて,あまりとやかく言うほどの代物でない。こゝで私が問題にするのは本來のポスターである。
ポスターはまず人に觀られることを欲する。目立たないポスターなどというものは考えられない。人を殺す醫者のようなもので完全な撞着であり矛盾である。次にポスターは觀る人にある行動を起させることを意圖している以上,單に人の目を牽くだけではいけない。強烈で持續的な印象を與え,そしてじつとしておれないような行動へ煽る力がなければならない。これがポスターの絶對的な2條件である。そのためにはどのような原則が守られねばならないか。
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