グラビア この時この1葉
ユニフォームは時につれ
坂本 玄子
1
,
山根 信子
1
1看護史研究会
pp.310-311
発行日 1999年4月1日
Published Date 1999/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661905805
- 有料閲覧
- 文献概要
淡いピンクのパンタロンスーツ.ブルーに可憐な白襟とエプロンのワンピース.凛々しい白のツーピース.今日,さまざまなナースのユニフォームが人々を和ませている.では,かつてのユニフォームはどんなだったのであろう.
広く人々に「看護婦ここにあり」と知らしめたのは,1891(明治24)年10月28日に愛知県・岐阜県で死者7000人あまり,負傷者約1万7000人の被害をもたらした濃尾大地震での救護活動だった.この時日本赤十字社病院から,従来からいた看護婦と第1回看護学生(1890年養成開始)各10名が派遣されたが,その活躍する姿は被災者の目に鮮やかに写ったようである.この時のユニフォームは木綿の縞筒袖着物に白前掛けだった.この姿は,1885(明治18)年わが国に最初に開設された,現慈恵病院の看護婦教育所のユニフォームとほぼ同じである.そこでは着物,前掛け,足袋まで全部生徒が自分で縫いあげたという.
Copyright © 1999, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.