病院管理の工夫
ユニフォームの工夫
新垣 興文
1
1精神科神経科新垣病院総務部
pp.612-613
発行日 1981年7月1日
Published Date 1981/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541207518
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当院の沿革と白衣の変遷
当院は創立昭和45年4月の個人病院で定床223床,1類看護,職員総数125名,看護職員76名である.開院当時は年1回市販の白衣を看護衣として貸与していた.それはごく普通のワンピースや白ズボンであった.開院当時は看護婦の人数が少なく,看護助手が多数を占めていたので,中には精神科看護の経験はもちろんのこと,病人の看護すらしたことのない者がいた.したがって,おのずから看護衣に対する認識も薄く,病院では白衣を着用して働くものであるという程度の認識しか持っていなかった.看護に関する認識や勉強の不足は,開院まもない当院にとってはやむを得ないこととはいえ,看護に対する経験不足のため,看護業務をこなすのに精一杯で,白衣について考える余裕はなかった.
白衣は同一デザインの一括購入であったから経済性の面から質が落ちサイズも大中小の3種類しかない状態だった.看護者は貸与された白衣にからだを合わすしかなかったのである.ある者はダブダブの白衣を着け,ある者は窮屈そうで,見た目にもあまりきれいなものではなかった.小さめのパンタロンを着けていた者が座った拍子にお尻の部分がビリビリと破れたこともあった.また看護職員には女性が多く,その人たちが結婚し妊娠すると貸与された白衣では間に合わなくなってきた.そんなことから自分の体型に合った白衣を独自で購入する者が出て来た.
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