連載 聴こえんゾ!・7
誰だって初めは素人さ
山内 しのぶ
pp.195-197
発行日 2003年2月1日
Published Date 2003/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661100925
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深夜1時.私は,夫の隣で歯を磨き始めた.……シャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカ.
夫の耳がピクンと動いた.
どうしたのかな.
夫の目は,テレビ画面に釘付けだ.私もテレビ画面を見ながら,歯を磨き続ける.
……シャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカ.
夫が私を見た.
「また俺の隣で歯を磨くぅ」
ダメ? イヤ?……シャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカ.
「その音うるさいんだよな~」
夫は,笑う.
歯を磨く音って,するんだ.
「そうだよ.うるさいのよ,これ」
さようか.すまんかったな.
私は,夫の耳を,空いている手でふさいだ.
これで歯を磨く音は聴こえないでしょ.
「そうだけど,テレビも聴こえない」
聴こえる人って,なにかと不便だね.
私は,洗面台に向かった.
歯を磨く音も,テレビの音声も,私には気にならない.というよりも,それらの音声自体が,存在しない.耳が聴こえないからだ.生活のいろいろな場面での,聴こえる人にとって「あたりまえに聴こえる音声」は,たくさんあることだろう.それらの音声は,私にとっては「聴こえないのがあたりまえ」であることがほとんどだ.その事実を実感するのは,やはり,聴こえる人と生活することによって,だ.
私の夫は,私の耳が聴こえないという現実を,徐々に理解していっている.それにともなって,私との付き合い方も,夫なりに「開拓」しているのが,一緒に暮らしているとよくわかる.
「開拓」のし方は,人それぞれだ.その人その人の性格や個性が,よく出てくる.そして私は,人それぞれの「開拓」ぶりを,見て楽しむことにしている.これがおもしろいんだよね.
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