連載 とらうべ
「子どもを守る国」をつくるために
桃井 真里子
1
1自治医科大学小児科学教室
pp.705
発行日 2002年9月25日
Published Date 2002/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611903487
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昔日には,「おんなこども」という語句があった。今は「母子」である。子どもは常に母親と一緒に論じられてきた。子どもが悪ければ,まず母親の育て方が論じられる。「キレやすい子どもの母親は,過干渉,過保護,放任が多い。だから家庭に問題がある」という理論がまかりとおる。責任をとりあえず母親に設定することは,容易で誰もが何となく納得しやすいからである。
子どもは親の遺伝子を発現し,親が持つさまざまな個性を受け継ぐ。育てやすい子どももいれば,育てにくい子どももいる。自分とあまりに違っていて,理解しにくい子どももいれば,途方に暮れるばかりの突出した行動を示す子どももいる。それに親が必死で対応しようとして,全て逆効果になってしまう場合もある。他人(子どもも含めて)を受け入れる度合いも人さまざまであり,何でも受け入れられる人もいれば,我が子の個性や障害を受け入れられない人もいる。多動障害の子どもを相手に,「悪いなあと思いながら,この子と離れたいんです」と言う母親もいる。「私でもそう感じると思いますよ」と答えると,心からほっとしたように涙ぐむのである。療育施設に通いながら,どうしても我が子の障害が納得できない,と拒否的な親がいる。不妊治療の結果,やっと得た我が子が脳性麻痺を呈したのである。こんなはずではなかったという思いと,周囲からどう見られているか,という思いに耐えられないのである。
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