クローズ・アップ
—「フィリピン女性のお産をサポートしたい」。ピナツボ山の麓で産院を開いた—冨田江里子さん
pp.787
発行日 2002年10月25日
Published Date 2002/10/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611902956
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1991年6月,フィリピン,ルソン島のピナツボ火山が大噴火を起こし,火砕流が周囲の村々を襲い,降り積もった火山灰は生活のすべてを押し潰してしまいました。20世紀最悪の災害とも言われたこの噴火から11年。すべてを失ってしまった人々が生活を取り戻すために暮らすマンガハン再定住地区に,日本人助産師がつくった小きな産院があります。
St. バルナバ・マタニティ・クリニック。「母校の名前からそう名付けたんです」。冨田江里子さんはそう産院の名の由来を語ってくれました。
「クリニックでの診療は無料。誰も差別されない。皆それをよく知っているんです」と言う冨田さんの言葉の裏に,庶民には医療が遠い国の厳しい現実を垣間見ることができます。しかし,それでも人々は懸命に生き,助け合いながら暮らしています。産院で産声があがると周囲の人々は皆,歓声をあげて喜ぶのだそうです。
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