特別記事
最古の助産婦教育機関大阪大学医学部附属助産婦学校の閉校—医学部保健学科へ助産婦教育を継続
田間 惠實子
1
,
田中 春美
1
,
増 洋
2,3
1大阪大学医学部保健学科
2六日市学園六日市医療技術専門学校看護科
3元:大阪大学医学部附属助産婦学校
pp.973-978
発行日 1997年11月25日
Published Date 1997/11/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611901824
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大阪大学医学部附属助産婦学校の歴史と学んだことあれこれ
平成9年(1997年)3月31日をもって,大阪大学医学部附属助産婦学校45年間の教育は幕を閉じ,大阪大学医学部保健学科看護学専攻母性・小児看護学助産コースへとバトンタッチされた。
スタート当時の各称は違っていたが,120年の歴史をもつ大阪大学医学部附属助産婦学校の歴史は,そもそも明治9年(1876年)3月,大阪大学医学部の前身・大阪府病院において,岡沢貞一郎によって産婆学の講義が始められたのが端緒である。そして同年10月,産婆学を卒業した175名に対してわが国初の産婆営業鑑札が付与された。続いて,1878年(明治11年)中之島の旧芸州蔵屋敷跡に新設した大阪府病院において入学試験に及第した者を正規生,従来の生徒を変則生とする正変二則に分けた産婆教育が開始されている。大阪府病院における教育をはじめとして大阪大学医学部附属助産婦学校閉校に至るまで,助産婦教育の歴史は121年を数えるに至っている(表1)。
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