クローズ・アップ
オーストラリアへ帰国した出産教育者 ジュリー・ピアスさん カナダからの後任者 ダイアナ・ボンドさん
本誌
,
宮崎 雅子
pp.85
発行日 1990年2月25日
Published Date 1990/2/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611900020
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日本においてアクティブ・バースを初めて提唱,産婦主体の出産を主張して,日本の助産婦職にもなじみの深かったジュリー・ピアスさんが,本国のオーストラリアへ昨年末帰国した.滞日生活11年,この間Tokyo Childbirth Education Associationを組織し,主に外国人妊婦を対象とした出産教育に精力的に取り組んできた。
ピアスさんはアクティブ・バースを実践する一方,歴史的な日本の出産のあり方と助産婦(産婆)の活動を高く評価,そこから学ぶ姿勢を保ちつづけてこられた.ご自身の出産のさいは,東京・足立区で開業する水落ユキ氏に介助を受け,いっそう日本の助産術に共鳴を深めていった.産む人が本能的な能力を生かして主体性を発揮できるよう援助することこそ,産科に携わる者の役割とするピアスさんの考え方は,当初から大方の賛同を得たわけではなかったが,今では着実に根づきつつある.ピアスさんは,日本の土壌に一粒の麦を確実に蒔いたといえよう.本誌では39巻4号でピアスさんの指導するアクティブ・バースの実際と考え方について紹介したが,本号では「インターホン」欄に日本の助産婦の方々へのメッセージをお寄せいただいた.ご一読下さい.
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