連載 助産婦が好きだから・4
なにもできないときにはできないままに
岡部 恵子
1
1日本看護協会卒後教育部
pp.604-608
発行日 1987年7月25日
Published Date 1987/7/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611207180
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人の世には4つの苦しみがあると言います。生・病.老・死です。私は初めてこの四苦について聞いた時,頭をガーンとうたれた感じがしました。四苦のひとつに「生」があげられることへの驚きと納得でした。「そうなんだ。生きているから苦しいのだ!病と老のみならず,死さえも生きているがゆえの苦しみなのだ!」と,なぜかとめどなくあふれる涙のなかで確信しました。人が自ら死を選びとることの意味がわかったのです。人として「生きていること」が,たまらなくせつなく,人として「生きている自分」がたまらなくいとおしく思えました。V・ヘンダーソンの「看護論」の中の「生命への威嚇以上のもの」の存在を実感することができました。他科の看護者から,よくいわれます,「いいわね,産科はおめでたばかりで!」と。確かに産科は「生まれる」ことを中心にした看護ではあります。しかし,「生」あるところ,必ず「死」があり,「病」があります。「おめでた」であるはずの時と場が,急転直下悲しみの場になることがあるのもまた産科の特色なのです。医学進歩したりといえども,医療の力ではいかんともしがたいことが,たとえわずかでも必ず生じています。多くのおめでたいことの中で,突如として起こるこうした悲しみは,妊産婦さんやその家族だけでなく,そばにたつ医師や看護老をもうちのめします。そして私は,なんどか「助産婦をやめたい」と思ったりもしました。
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