産育習俗今昔
2.生命の認知
鎌田 久子
1
1成城大学
pp.140-144
発行日 1982年2月25日
Published Date 1982/2/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611205975
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生命の去来
生命の芽生えという言葉がある。1個の精子と,1個の卵子が結合した時が,生命の芽生えであろうが,このような分野も今日でこそ科学の発達により明らかになっているが,さて,前代の私どものオヤたちは,この生命のはじめをどう考えていたのであろうか。昭利初期,ミクロネシヤのサテワヌ島に渡られた彫刻家,土方久功氏から,彼の地では当時,島民は,妊娠すると,そういえばあの四つ辻を通ったからだとか,あの十字路を通ったので妊娠したのだと,言っていたという話を伺ったことがある。性交の結果,妊娠するのだとは理解していない。性交と妊娠は,別次元のものとして認識しているというのであった。考えてみると,日本でも,八丈島などでは,南の風が吹くとはらむなどという俗信を伝えており,このサテワヌ島の島人の意識とそれほどかけ離れたものではない。
十字路とか四つ辻は,一種の境界を示す地点である。道の向う側は,異なった世界を形成しているのである。十字路は四方に通じる地点であり,このような地点こそ四方八方,全世界に通じる地点と理解されてきたのである。ここで孕むことは生命の芽生えを,この地点を拠り所として,全宇宙に求めるという意味がある。
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