海外だより
—ベトナム—戦火の中の母と子と
矢野 輝子
1
1パルモア病院
pp.382-383
発行日 1975年7月25日
Published Date 1975/7/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611204894
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あるクリスチャンの奉仕団より送り出されベトナムに渡ったのは,1970年の9月であった。サイゴンの町には,たくさんの人々,そして日本のバイクがあふれていた。バイクと呼ばずに,"ホンダ・ホンダ"と呼んでいるほどである。2か月間の語学教育を終え,Cô LAN(Miss Lan)の名前までもらい,サイゴンよりずっと北,海岸のそばにあるEvangerical clinicに着いたのは11月であった。
私は,子供が10人もいるベトナムの家族と一緒に暮らすことになった。当時病院には,アメリカの医師が2人,ナース2人,またスイス人ナース1人が働いており,一般ベッド数60床,結核病棟約70床のこじんまりした病院で,大手術を必要とする患者は,町のProvince Hospitalに送っていた。ほとんど毎日眼科の手術(主に白内障,緑内障)が行なわれ,眼瞼下垂などの簡単なものは,ベトナム人ナースの手によって行なわれていた。
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