特別記事
地域母子保健と母親学級の位置づけ
松本 清一
1
,
吉原 栄
2
,
野口 忠男
3
,
今関 節子
4
,
高山 美津子
5
1自治医科大学病院産婦人科学教室
2栃木県国分寺町母子健康センター
3自治医科大学産婦人科学教室
4自治医科大学病院産科
5自治医科大学病院産科外来
pp.238-250
発行日 1975年5月25日
Published Date 1975/5/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611204852
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I.母親学級—その草創と今日的問題点
■戦後,マチソンの提唱がきっかけ
松本 まず母親学級,あるいは母親教室のわが国における歴史についてちょっと触れてみたいと思います。終戦直後の昭和21年ごろ,連合軍総司令部公衆衛生福祉部看護課にミス・マチソンが来られ,この方が日本で母子保健教育を推進する必要を認めて,昭和23,4年頃からほとんど全国各地を回って歩いて母親教室の普及に努力されたわけです。
日本ではマチソン女史の提唱によって2つの大きな計画がなされました。その1つは全国の助産婦に対する妊産婦保健指導についての専門的講習会で,自分で日本全国を回って講習を行なったのです。もう1つが母親学級の普及で,全国のすべての市町村で妊婦を対象とした集団保健教育を実施するようにしたのです。これが日本で母親学級が普及するようになったきっかけです。
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