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先号において,「育児休業制度」が労働者の要求によるものなのか,企業側の論理にもとずくものなのか,一見判断に戸惑う,と述べました。しかし,「育児休業制度」が,
①一定の経験と技術を必要とする教職員等の専門職にかぎり(自民党では保母,看護婦にもと考えている),労働投資効果の減殺を少なくするためにこそ一般の婦人労働者との分断を図りながら出されていること。
②現実に育児休業制が導入されている電通などでは,実際6か月ぐらいの利用の人が多く,無給による経済的困窮のため職場に戻ろうとしても,合理化の急展開の中で帰るべき職場がなくなっていたり,逆に育児時間がとれなくなってきており,多くの民間の場合,休業の名による実質的首切りでしかないこと。
③そもそも「育児が女の私的労役であるから,女が休んで家で育てること自体が長い間の女性の差別の再度の固定化であること」,などの点を考えあおせるならば,それが資本の論理にもとづいて出されたものであり,婦人労働者にとって攻撃的なものであるといえる。
すでに触れたように「長く働き続ける条件づくり」として労組婦人部が有給制,選択制,現職復帰制(総評三原則)を条件にして運動化が進んでいるのだが,「無給」のもつ意味はきわめて大きい。育児休業制が実施されている企業は今までのところすべて無給である。日教組ではなんとしても「有給」の突破口を切り開きたいとしているが,その中味は,賃金の1/25を支給(休業中3日間だけ出勤すれば)するというものである。1/25は実際には共済掛金,組合費などでなくなってしまうような名ばかりの有給でしかない。そもそも組合要求が有給80%としていること自体,資本の「ノーワーク・ノーペイ」の論理にのってしまっているし,たとえ数%の形ばかりの有給化をかちとっても,今日それが次第に%がふえていくなどという楽観的な労資の力関係などはまったくのぞめない。「育児の社会化」を資本に認めさせるとすれば100%企業負担は絶対に譲れない点である。
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