特集 助産院報告
私の助産所
水落 ユキ
1
1水落助産院
pp.16-17
発行日 1971年3月1日
Published Date 1971/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611204086
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私の住む町は足立区の北で,昔は江北といって古くは江戸の北ということで,そのような地名ができたのでしょう。戦前は荒川の五色桜で知られております。春になれば菜の花畑,秋には田圃に黄金の波を漂わせ,そこに住む人たちは農業を家業とする人が多く,のんびりとした自然の中に私は色々夢を見,胸ふくらませて開業しました。昭和22年の春でございました。
4.5畳と6畳の狭い家に産婆と書いた看板を掲げ,盲ら蛇におじずと申しますか,若さ故の無鉄砲と申しますか,それでも土地の方々の温情のお蔭でポツポツお産がございました。特別異常の無い限り家庭分娩で,その頃は電話などはどこの家にもなく,お産の迎えか来ると,そそくさと自転車のおしりに分娩カバンを載せ,夢中になって飛んでいったものです。風の強い日雨の日嵐の夜雪の夜などはカバンを持つ手が凍えそうになるのをこらえて産家へ飛んで行きました。やっと無事にお産を終え家路につく時,月がきれいに出て,見渡す限り銀世界,その中に私だけが唯一人さくさくと雪をふんで,月世界に住む天人のような気がして,この神秘の中にとけこんでゆく自分と満ち足りた満足感で,私は幸福だなあと思いました。生涯の仕事として助産婦を選んだことは,大変よかったと思っております。苦しいことにあうたびに,嬉しいことのあるたびに,仕事は心のささえに,または慰めになってまいりました。
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