特集 助産院報告
常に意欲をもって
山田 正子
1
1俵助産院
pp.14-15
発行日 1971年3月1日
Published Date 1971/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611204085
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母子衛生に生涯をかけて45年,この道ひとすじに歩んでこられた助産婦,俵アイ先生のもとに私が助産婦としての仕事の生甲斐を求めて,就職したのが昭和26年の秋。時のたつのは早いもので,早や20年の年月が流れようとしております。この間,微力ながら院長の協力者として,仕事のたのしみ苦しみをともに過してまいりました。
当時,助産婦の経営する施設としては規模も大きく,ベッド数9床,助産婦4名,分娩数年間350〜400,内自宅分娩40%,入院分娩60%位,分娩,産褥看護,妊産褥婦,新生児の保健指導,または生後1年間の保育指導など,病院勤務でただのんびりと過して来た私には,意外な事,感心する事ばかりで,これをどこから身につけようかと気持があせるばかりでした。この思い出深い俵第一助産院も,建造物の老朽化,人手不足,その他種々の事情により,昭和45年4月をもって閉鎖し,文京母子育成院と合併することになり,現在この中の俵第二助産院に勤務しております。従事者の立場からこの施設についてご紹介したいと思います。
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