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ここのところずっと日本人の著作ばかり紹介してきたので,今月は視界を広く世界に転じて,フランスの女流哲学者,シモーヌ・ヴェーユにまみえようと思う.先年,サルトルと共に来日したボーヴォワールについては,代表作「第2の性」を読んでいなくても,現代世界第1級の女流知識人として,またサルトルの永年の恋人として,たいていの人が知っているが,そのボーヴォワールと同世代を生き,同じくパリの高等師範学校に学び,同じく哲学教授の資格をもったシモーヌ・ヴェーユについては,日本ではまだごく一部の人の間で語られているだけのようである.それは彼女が1943年,34歳ですでに病没しているせいでもあるが,実存主義者として,また共産党のシンパサイザーとして,常に明快な歩みを続けてきたボーヴォワールに比して,シモーヌ・ヴェーユの思想は日本人にはもっとも苦手である神秘思想,キリストの神への愛と志向とを含んでいる故であろうか.だが現在,自由陣営側の頽廃悪徳はもとより,進歩側陣営内の抗争と停滞にも一種の偶像破壊感と,挫折感とを味わっている世界の知識人の問で,シモーヌ・ヴェーユの鋭い洞察力に富む社会思想が,新しい創造的な社会を示唆するものとして,紹介され,論じられている風潮を黙視するわけにはいかないと思う.
シモーヌ・ヴェーユ.いったい彼女は何者なのか.1909年,パリに生まれ,パリで育ったユダヤ人.日本では匹敵するもののない,神童級の秀才が行く大学を卒業し,大学教授の資格を持ちながら,教壇に立ったのはほんの1年間で,ルノー工場の女工となり,女中部屋に住み込む.若い娘ならふつうおしゃれをする年頃に,まったく身なりをかまわず,男のような歩き方をし,100名ばかりの失業者を連れて市議会に侵入し,石割り人夫たちと握手し,カフェでは,労働者たちと赤葡萄酒を飲んだり,トランプに興じたりする.1936年,アナーキストのある国際グループに加入して,スペイン戦争に参加する.生来の不器用のため脚に火傷を負って帰国,再び教壇に立つが,健康がすぐれず休職.このあと大戦勃発,40年にペラン神父と"百姓哲学者"ティボンと相識の後,病歿までの3年間,キリストへの愛と霊的体験を通して,閃光を放つ証言を行なっている.
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