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11月12日午後,佐藤首相一行は日米首脳会談のために羽田空港を発ちました.そのさい,首相訪米を実力で阻止しようとするいわゆる反共三派全学連と,あらかじめ待機していた武装警官隊とが激突,多数の重軽傷者をだし,約350名がタイホされました.おまけにデモ隊ではない市民がまちがえてなぐられたり民家がこわされるなど大騒動でした.報道は「市街戦」とよびました.また10月8日,やはり佐藤首相の南ベトナムゆきにあたり,これをはばもうとした山崎博昭君という京大生が警官隊に殺されました,どちらもいたましい事件でした.
それらをよそに首相一行は訪米しジョンソン大統領はじめアメリカ首脳筋と重大な話しあいをしました.日本側が早くから宣伝していた一番重要な議題は,沖縄・小笠原の返還ですが,これはおもに国内むきで,事前のアメリカ報道は小さくあつかい,しかもベトナム侵略戦争がゆきづまっている時期,関心はもっぱら逆に沖縄基地の強化と,3年あとにせまった日米安保条約の改定問題でした.つまりはじめから根本はくいちがい,日本側は国民にはアメリカからいろんな譲歩をとりつけると鐘やタイコをならしたが,アメリカにたいして強硬に独立,平和を主張するどころか,実はベトナム戦争にもっと深入りして「日米協力」をいっそう強めるのが真のかまえでした.わざわざ大げさにでかけなくても当初からわかっており,むしろとんでもない「おみやげ」をいただいて帰国したのです.発表された日米の共同コミュニケをよむと,そのへんのからくりがあきらかです.首相訪米まえに伝えられた日本国民の最低の悲願さえ無視されています.たとえば基地つき施政権の返還,小笠原の「早期」返還,「顕在主権」の「原則」確認など,事実上の軍事同盟である日米安保条約のすえおきであるかぎり,空手形というもおろかペテン師との口約束にすぎません.そしてこんご当然おこる国民の領土返還要求を北方領土にむけさせる計算,反ソ反共です.こどもにもわかる幼稚な算術です.
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